長い人生、同じような日々を繰り返している事に満足している人は少ないと思います。
平和に感謝しよう、健康に感謝して日々を過ごそう。と、朝を迎えるたびに感謝するものの平和と健康に満足すればするほど成長したいという欲求が強くなります。
そう考えると不満があるのは喜ぶべき事と思いますが、自分が何に対して不安や焦りを感じているのか分からなくなった時はありませんか。
マズローの欲求五段階説によると、生理的欲求~承認欲求までの「欠乏欲求」とされるものを追う段階があり、更なるステージで自己実現(成長欲求)があるとされています。
このうち、「愛されたい」「認められたい」「尊敬されたい」は他人に期待する自分への評価になりますが、この承認欲求に対する欠乏感がメンタルに影響を及ぼすというわけです。
欠乏感を満たすために他人の顔色を見たり、他人と競ったり、他人に嫉妬したりという事が起きるわけですが、その心理自体が「他人軸」になっている事に多くの人が気付いていないように感じます。
この欠乏欲求ステージで他人に翻弄され続け一生を終える人、または一足飛びに自己実現だけに集中する人など様々です。
人間は一定ではありませんので気持ちの浮き沈みや考え方の変化もありますが、「自己実現」について考えてみたいと思います。
自己実現を最優先にする
結論から書くと、自己実現を目指している人は「自分軸」の世界に生きているので自分の成長だけに注力しています。思考としては非常にシンプルですので、ストレスの少ないものになるはずです。
そもそも成長を続けている人、何かに卓越している人こそが他人に認められ他人に影響を与える人物となりますので、「愛されたい」「認められたい」「尊敬されたい」という気持ちに振り回されている行動自体が本末転倒であると気付き「自己」に目を向けることが負のスパイラルから抜け出すコツだという事になります。
雑踏の中で生きていると「自己」が見えなくなり結果的に他力に振り回され、願い通りにならない事で逆恨みしたり嫉妬したりと言う宜しくない感情に悩まされることになります。
このような場合は、自分の人生に全く関係のない「他人」に翻弄されている事実に気付き、早く迷子になっている自分を助けてあげましょう。
自己実現とは
人生の目標とは何か
自己実現はゴルトシュタインとロジャーズによる概念化されましたが、元々は心理学の用語です。
ゴルトシュタインは、ベルリン大学の教授であったが、ドイツにおけるナチスの台頭により、1935年、オランダに逃れ、翌年アメリカ合衆国にわたり、その後、アメリカの心理学の分野に大きな影響を与えました。
彼の教え子の一人カール・ロジャーズが、これを、人が自己の内に潜在している可能性を最大限に開発し実現して生きることとして概念化し、これをもとに「健全な人間は、人生に究極の目標を定め、その実現のために努力する存在である」としたことで、この言葉が世に知られるようになったと言われています。(出展:Wikipedia)
人生に究極の目標を定め、その実現のために努力する事。
この時に「人生の目標」が分からなくなってしまう人が多いのではないでしょうか。
私自身の事になりますが、ちょっと前まで「人生の目標」と聞かれると「家族の健康と幸せ」などという頓珍漢な答え方をしていました。このように、日常生活に追われる中で自分個人の目標など考えたことがないという人もいらっしゃるのではないかと思います。
もちろん家族の幸せも大切ですが、言うまでもなくそれは自分の目標ではなく「願い」です。
自分という人間が「どうなりたいか」そのために「どうありたいか」を知り、そのために努力することが自己実現という事になろうかと思います。
そのためには自分に向き合い自分を知ることですが、社会で身につけた仮面の奥の自分は自分でも見えにくくなっている上、人間は多面性がありますので簡単ではないかも知れません。
自分自身は、「どんな人になりたいのか。」これは他人から見た自分ではなく自分で評価したい自分です。
「あと10キロ痩せたい」などでも結構ですが、「他人に綺麗だと思われたいから。」となると、これまた承認欲求ですので「次は流行の服」「次は…」と他人の価値観に惑わされる原因になります。
「他人」に「思われたい」ではなく「自分」が「自分の外見を好きになり自己肯定感を上げたい」などに考え方を変えれば、次のステップへの足掛かりになると思います。
「努力を続けるために健康である事は必然」そして「痩せて健康を維持したい。」という感じで目標から逆算して「どうあるべきか」を探し出すのも良いかも知れません。
自分と向き合うという事
一度「自分自身」の歴史を振り返ってみてください。子供の頃の思い出、学生時代、社会に出てから・・・様々な人と関わり経験を経て今があります。
その成長の過程の中で得た「感情」は、親も兄弟も誰も知らない事ばかりです。なぜ今の自分がここにあるのか、それは自分の中にしか答えがないわけです。
「親や先生、周りの人たちの意見を中心に生きてきた」と言う人も多いでしょう。次々と「司令塔」を探す人生を否定するわけではありませんし、それも一つの生き方です。
ただ、他人の指示に沿って生きることが出来る人は、恐らく「自己実現」とは無縁ではないかと思います。
「自分の歴史」に戻します。
子供の頃に好きだったこと、一人遊びで「一番好きな時間」は何でしたか?それが「持って生まれた素質」です。
そのように自分という人間に目を向けていると、ふとした瞬間に深海に眠っていた自分に気付く時があります。
身にまとった殻がポロポロとはがれるような気持ちになり、混沌とした社会から隠れていた素の自分が何となく愛しく感じたりします。
そこにフォーカスし、どんな目標を持つべきで、どんな時間が自分を成長させるのか。を考えてみると良いかも知れません。
パーソナルブランディング構築シートも参考になると思いますので、参考にしてみてください。
自己実現に向かい始めると承認欲求のような欠乏欲求は消え、自分の成長だけにフォーカスが出来るようになります。
結果、他人からの無責任な誹謗中傷や称賛にも大きく動じなくなり、逆に他人の事ばかり見て自分の成長に注力しない人達を蔑視する気持ちになったりします。
他人ではなく自分で自分を評価するという「自己実現」のステージに入った証拠です。
他人軸ではなく自分に向き合って努力するという幸せや生き甲斐が分かったとき、目の前が急に開けてくるように見えると思います。
見ている景色も変わり、付き合う人達が変わってくるかもしれません。
自己実現にのステージに入ると、人生が自分との闘いであることを実感すると思います。
自分に厳しい人は「目標値」を高く設定する癖をつけてしまいがちですが、目標値を上げ過ぎると別の意味で不安や焦りが生まれます。
人間には限界がありますので無理は禁物。
キャパオーバーになると息切れし、無力感に葛藤する日々に悩まされます。
芥川龍之介の遺した言葉に「人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たものである」というのがありますが、恐らく自己実現という自分との戦いは、目標を更新しながら果てしなく続いていくのだと思います。
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