目次
写真で作るストーリー
4,5年ほど前に別事業として”スタジオテイルズ”という写真スタジオをスタートしました。
「モデルさん(お客様)に1日張り付いて、フォトストーリーブックを作る」という、個人の写真集制作するのがサービスです。
今の”素の自分”を残すのがテーマで「年々変わる表情を残せたら、良い一生の物語が出来るだろう」と思ったわけです。
その頃、私は借りた衣装や化粧して作った顔ばかりを撮る写真文化に違和感があり、なぜ自然体やヌードを写真で残すサービスがないのかと疑問に思っていました。
周囲にも聞いたことがありますが、日本人は他人がしない事は敬遠するので需要がないという意見が大半でした。
ただ一人、JPAの棚井副会長から「日本の写真業界の為に、絶対にやるべき。」と言われた言葉が背中を押してくれました。
海外生活に慣れているセレブ系の方々は意外とヌードにも積極的で、興味を持ってくれた知人が数人いました。周囲にも大きな影響力がある方々です。
テレビ局のディレクターからの提案で「”富裕層女性に人気のヌード写真家”という名目で、特番を作ろう。」という話もあり準備は整いつつありました。
そんなある日、私は急に気持ちが乗らなくなり全て止めることにしました。
中止した切っ掛けは、そもそも「お客様からお金をいただいて、写真を撮る」という事は、どういうことか。と考え始め、撮影者の私から見た被写体と御本人の「自分のイメージ」は恐らく異なるだろうと思ったことでした。
私は私の感性で撮影したいので、ひたすら「望まれる写真」を撮り続ける”カメラマン”にはなれない。良い未来が見えないことに気付いたのです。
逆に、自分の感性を売りにするということも考えましたが、それは自分をアーティストと掲げてお金を戴くという事。
ロクな実績もない自分を商品化する様なうぬぼれ屋さんでもないですし、そんな詐欺のような行為を想像するだけでも赤面します。
そうすると、いったい自分は何を目指しているのか。根本から何か間違ってるのではないか。
要するに相手の望む写真は撮れないし、撮りたくない。「自分は、お金を貰って写真を撮る事が苦痛なのだ。」と分かったのです。
(4年前、ポージング指導で丸ごと好奇心(広島テレビ)出演。当時テレビ出演の依頼が多かった。)
写真に固執する日々
それから数年間、写真が好きな私はどうにか写真に寄り添っていたくて、廃校になった校舎を写真館にする企画や写真カレンダー企画など試行錯誤を繰り返していましたがエラーの連続。
どんな立派な人と仕事が進みそうになっても、「そこは違う。」と思い始めると譲ることが出来ず、もうダメです。
「きっと私は写真に対する拘りが強すぎるのだ。思い入れが強すぎる人間は他人と仕事が出来ない」と分かりました。進み始めると人間関係が壊れてしまいます。
私は自分の事を”何でも受け入れる性格”だと思っていましたが、そのような自分の一面を自覚したのは、割と最近の事です。
自分の事は割と知らないもんだなと思います。
そもそも私の会社は商品企画制作、輸入会社で私はOEMプランナー兼ブランドマネージャーです。写真活動は趣味でしかありません。
写真に執着しすぎると仕事にならないので、いい加減に目を覚まさなければいけません。
振り出しに戻る
写真から距離を置こうと決心して、1年以上が経ちました。
相変わらず写真関連の人たちから連絡は頂きますが、極力それに関する時間を割かないように気を付けています。
そんな中、クライアントさんの依頼でバッグのサンプルを作る機会があり、自分のフォトコラージュ作品をデザインサンプルに使いました。
担当者に、そのサンプルと提案書を渡した時に
「このデザインは変わってますね。どこのブランドですか?お洒落ですね。」
そう言われて、とても驚きました。
イメージサンプルで作ったものだったので、当然デザインは後で差し替えるつもりでした。
結局そのコラージュ作品を少し手直ししたデザインが採用になり、12月のイベントでコラージュデザインのクリスマスショッピングバッグが販売されることに決まりました。
自分が知らない自分を見つける難しさ
”そうだ、そもそもカメラメーカーに勤務してた頃、自分はフォトコラージュを商品化したいと思って起業したはずだ。”
カメラよりも先にPhotoshopを購入して上司に笑われた事を思い出しました。
結局、商品の制作代行だけが仕事になり、コラージュには何故か忘れていました。目を向けない様にしていたように思います。
それは、何故でしょうか。
私がコラージュを封印したのも、写真から距離を置いたのも、理由は同じような気がしました。
作品は自分が信じている世界、自分そのものだ。他人に見せて評価を受けるものではない。
自分の世界観を誰かに否定されるのは、自分を否定されることに等しい。”
これが本音です。
私は自分の世界を表現した作品を他人にさらけ出すのが怖かったのです。
それは全裸の肉体を公開する以上の恐怖だったと思います。
ですが、商業写真と芸術作品が異なるように、アートとデザインも違います。
私という個体が作品を作り、会社がデザインとしてアレンジする事でシナジーが生まれます。
モノづくりを続けてきた自分の会社と自分の作品をコラボレーションする事は原点の発想です。
会社の経営者である自分の立場が、自分のクリエイティビティを閉じ込めていたのかも知れません。
こうして、リベンジすべくスタジオテイルスを復活させる事にした今、気付いたことがあります。
「自由に表現していけばいい。」
周囲には散々伝えてきたことですが、誰よりも出来ていなかった自分がここにいました。
何より、写真界の「本物と偽物」をジャッジし合う強烈な派閥に触れ、表現することに臆病になってしまった気がします。
世間の定義や風潮に翻弄され、難しく考えすぎていたのでしょう。
自分自身に抑圧されていた自分を見つけると、気持ちが楽になります。
肉体的には自由なはずが、とても息苦しい日々だったように思います。
多くの人達が、そのように感じているのではないでしょうか。
「問題点を探すのが一番の問題
問題点が見えた時は、ほぼ解決したのと同じ。」
と誰かが言っていました。
これから先もきっと表面的な自分と、隠れた自分の狭間で迷い続けるでしょう。
きっと何歳になっても自分の知らない自分がいて、迷う事や分からない事ばかり。生きている限り終わりがありません。
そして、それは誰もが同じで、それが人生なのかも知れません。
コメント