これは、トルストイの有名な小説のタイトルですね。
人生について深く考えさせられる名著です。
対照的な意味として日常で使われることも多いと思います。
私の父方の祖父は海軍士官で、呉の実家には戦時中の写真が多く残っています。
「世の中に出ると大問題になる。」と母が心配していましたので、もしかすると処分したかもしれません。
歴史には詳しくありませんが、紛れもなく日本が中国で行った事を証明するものでした。
中2の頃、祖母の荷物整理を手伝っているときに偶然見てしまい、あまりの残酷さと恐怖の衝撃で眠れなくなりました。
眠りに落ちかけると、海軍のマークが入った古いアルバムの表紙や凄惨な写真が脳に鮮明に蘇ってくるのです。
それが切っ掛けになってパニック発作を起こすようになり、以降は凄惨な事件や事故の話を聞くだけで発作が出るようになり大変でした。
子供だったこともあり、親や周囲から「悪いのは戦争だ。気にするな。」とか「今のあなたには関係ないでしょ、小心だね。」などと言われ、恐怖と孤独と不安と自己嫌悪との戦いが続きました。
パニック発作の恐怖は経験した人でなければわからないと思います。
大きなショックを経験すると、それを想起させるような事に対して脳が勝手に反応し、手足が震え吐き気や耳鳴りと同時に経験したことのない恐怖感に陥ります。息が出来なくなる時もあります。
現実も自分自身も遠いもののような感覚で毎日を過ごし、今となれば色んな治療法もありますが、当時は自分が何に怯えているのか分からない辛い日々でした。
中2の時の私には、戦争の現実を物語った写真がそれほど衝撃だったということです。
大人になってからも運転中に(事故をしない事はモチロンですが)「事故を見ませんように」と祈り、疲れがたまると少しの事で発作が出やすいのでアルコールで紛らわせる努力をし、
センシティブな戦争映画や残虐な映画、惨殺事件のニュースは極力見ないようにして生きてきました。
ただ幸か不幸か、12年くらい前から現実の苦労や心労が大きすぎてパニック発作が出なくなりました。
脳の仕組みには詳しくありませんが、違う種類のストレスが掛かることで恐怖のシナプスが途切れたのでしょうか。
代わりに内臓を患ったりしましたが、長年しつこく反応していたトラウマ脳も現実の気苦労の強さには勝てなかったようです。
パニック発作の辛さと現実の苦労の辛さとは比較できませんが、想像の恐怖に怯える事は無くなりました。
ネガティブな感覚をマヒさせる為のアル中生活からも解き放たれ、残りの人生について考える時期になったと感じます。
沖縄に来て様々な「戦争の爪痕」を見るたび、深く考えさせられます。
内地(本土)から来た人間は信用できないと言われる方も、多くいらっしゃいます。
普天間基地で夜遅くまで響く飛行訓練の轟音
ウクライナの戦争、水面下の中国の動き
まだ戦争が終わっていない事を強く実感する日々です。
戦争は、今の全ての日常、培ってきた物を容赦なく破壊します。
法律や権力などは無力です。
どんな暴力を受けても自由を拘束されても、大切な人の命を奪われても
「悪いのは戦争だ」の一言で片付けられてしまうのです。
力のない女性や子供たちを守ってくれるものも、訴える場所も、何もありません。
その現実に目を向けず、目先の事ばかりで争っているのが今の日本です。
芯のない主張で他人を叩き、快感を得ている愚かさを知って欲しいと思います。
ふと、長い間逃げ回っていた「恐怖の画像」が蘇ります。
これから自分が向き合うべきことは何だろう、と考えずにいられません。
広島の知人が「平和写真プロジェクト」を行っています。
平和とは何かを考え、何気ない日々の平和を実感することがテーマです。
今年3回目になりますが、写真集に仕上げ、全国の図書館の蔵書に加えて貰っています。
私は、前田高知(戦跡)にて外間哲弘氏(沖縄剛柔流拳志會空手道)を撮る、藤岡亜弥氏(広島の写真家)の写真で参加させて頂きます。
全国どこからでも応募は可能ですので、是非ご参加ください。
連絡先 工藤様
E-MAIL: postmaster@hppp.jp
tetuhilo@icloud.com
電話:082-885-0461 , 090-3742-3149
「写真で伝えられること、写真で出来る事」を追求し
広島で行ってきた写真活動と沖縄での写真活動が繋がっていけば、と願います。
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