幸せそうな人達の真実

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これは30年ほど前に実際にあった個人的な話です。
若い時には、何も知らない世界に夢や希望をもつことがあると思います。
また、他人の表面だけを見て羨ましいと思う事もよくある事です。
夢を持つことは大切ですが、都合の良い想像は失敗を招くことがあります。
ちょっと考えさせられる出来事でしたので、書いてみました。(長文・駄文です)

仲間が集まるライブカフェをスタート

私は20代の頃、モデルをしながらジャズ喫茶を経営していました。
まだ地方のモデルクラブにも仕事が入っていた時代です。
地方モデルは生涯の仕事にはならないことを悟り、ずっと出来る仕事を始めようと自分なりに考えたのでした。

音楽に関しては無知だったのですが、当時の仲間に音楽関係や芸能関係者が多かったため、自分がオーナーになり企画や集客は仲間が行う形で経営していました。
絵が好きなので、シャガールやビュッフェなどのリトグラフを飾り、得意な料理を生かしてモーニング、ランチ、夜は仲間が集まりジャズライブをし、生ビールやワインなどを出して、最初の頃は夢にあふれて毎日がとても刺激的でした。

夢と現実の違い

25坪の店舗にピアノやドラムも置き、満席になると50人前後です。
いくら若くても朝6時から深夜までの勤務では身体が持ちませんので、アルバイトを2人雇い、翌月に経験のある社員を1人入れました。
1週間ごとにランチのメニューを考え食材を仕入れ、仕入れた食材を上手く回すため夜のメニューに加えるよう毎日工夫し、団体予約に対応し、慌ただしく過ごしているうちに、社員が勝手に仕入れをしたり、酔って暴れるお客さんの対応、近くの企業の移転に伴う収入減、騒音や路駐のクレームなど忙しいだけでは乗り越えられないトラブルが増えてきました。
最初は手伝ってくれていた仲間たちも徐々に「無料で飲んで演奏するだけの迷惑な人」になり、特別ジャズが好きなわけでもなかった私は不満が溜まります。
夢見ていたような楽しく満たされた日々は崩れていき、早くも3か月目には「こんなはずじゃなかった。」と思うようになっていました。

ある日、汚れたエプロンを着けノーメイクで仕込みに追われているときに、綺麗に着飾った友達が3人で遊びに来てくれました。
「大変そうだね。手伝おうか?」友達はモデルをしていた時と真逆の私を、心から同情してくれているようでした。
「今からカラオケ行くけど、それどころじゃないよね?」と言われたときに漸く、自分が想像と違う世界に入ってしまっている事を知ったのです。

経営の難しさを実感する

どうにかこうにか1年が過ぎ、1周年記念パーティーをすることになりました。
正直、忙しいわりに利益にならないのでパーティーで稼ごうという計画です。
沢山の知人を招待したので、座れない人たちもいて大盛況でした。この日ばかりは私も華やかな服を着て接待しました。
きっと表面的には、頑張って成功しているように見えたことでしょう。

その日、生演奏で入っていたサックスプレイヤーのHさんが、奥さんと一緒に来てくださいました。
名刺交換をしたときの奥様は「Hの会社で事務をしてますが、本来はデザイナーです。」とハキハキとした口調で、キャリアウーマンという印象でした。
Hさんが奥さんに「まりちゃん(私)は、モデルさんをしながら店のオーナーもしてるんだよ。すごいね。」と言って紹介してくださったのですが、奥さんの表情は冷たく、どことなく拒否されている印象を受けました。
パーティーの間も、ふと見るとHさんの奥さんと目が合うので少し気になりましたが、まあ、偶然だろうと、そのうち忘れていました。
Hさんは細身のイケメンで、アルバイトの女の子が「Hさんが来るときにバイトに入りたい。」と言うくらい人気があり、奥さんも美人で、かわいい子供が2人いて、理想的で羨ましいと思ったのが私の率直な感想でした。

目の前の幸せが分からなくなる時

それから2か月ほどHさんの姿を見ませんでした。
ある日突然Hさんが泥酔状態でお店に来られ、ドラマーの男性に抱きつき、バイトの女の子がショックを受けるという、ちょっとした事件がありました。
その後また暫く来られませんでしたが、忘れたころに「離婚しちゃって、ロクなもの食ってない。」とHさんがランチを食べに来られたのです。
話を聞くと「妻が、子育てや義両親との同居に疲れた。自分には、やりたいことがある。と言い始め、喧嘩が絶えなくなり勝手に出ていった」とのことでした。
幸せそうに見えても、分からないもんだな。幸せとは何だろう。などと、つくづく思ったりしました。

実際その頃の私は他人の事どころではありませんでした。
集客と企画を任せていたドラムの男性が演奏中に脳内出血で倒れたり、近所からの騒音クレームが激しくなり警察が来たり、社員の男性が勝手に売り上げを使ったり…。
トラブル続きで疲れ果てており、撤退するタイミングを探っていた最中でした。
若かった自分にはそれらを乗り越えてまで続けていく自信も勇気もなく、自分の度量では継続できないと分かっていました。
そんなときに運よく(私の両親が好きそうな)教育関係の夫と知り合い、結婚を口実に店を閉める事にしました。
心の中では、癖の強い仲間たちとは距離を置きたいという気持ちも強かったと思います。
こうして、3年間の飲食店経営は幕を閉じます。
ちなみに店舗は当時のお客様に譲渡し、長い間居酒屋を経営されていましたが、最近閉店されたようです。

私だって輝きたい

私が結婚後、1年くらいしてHさんから「話がある」と電話をもらい、家に来ていただいた事があります。
Hさんは元気そうに見えましたが、古そうなセカンドバッグから1枚の雑巾のような布を取り出して
「僕の病気が治った滅多に手に入らない布だ。患部に置くだけで治癒する魔法の効果がある。
結婚祝いで特別に5000円で譲っても良い。(念のため、購入して欲しいという意味です)」
「特別なパワーが秘められているから、持っているだけでも幸せになれる。」
と言われました。
この時の私の気持ちは、御想像のとおりです。
「今から買い物に行かなければならないから。」と断ると、コーヒー代に。と布を置いて帰られました。
捨てるのも惜しい気がして暫く持っていましたが、いつの間にか雑巾と化していました。
Hさんは近況についても話されました。
「離婚した妻は何かあるたびに、まりちゃんが羨ましい、と言っていた。その後も自営をしている独身女性を見ては自分も独身だったら、もっと色んなことが出来たというのが口癖になってきた。
世間が手を広げているように見えたのだと思うが、結局は鬱病になって皆に迷惑をかけている。家族を捨てた天罰だから、当然(この魔法の布は)妻には絶対にやらない。」
という内容でした。
魔法の布は兎も角として”家族を捨てた天罰”という言葉が、今でも辛く残っています。
話を聞いた限り、奥様の目指す仕事は家族がいても出来るのではないかと思いましたが、周囲に反対されたのかも知れません。
私が意見すべき事でもありませんし、それぞれの考え方や環境もあるでしょう。

そのときパーティーの時のHさんの奥さんの冷たい視線を思い出し、太宰治の小説に似たような話があったことを思い出しました。
「私は逆に経営の難しさや泥臭さを知り、自分の知識や経験、生半可な好奇心では無理だと悟った。
優しい旦那様や可愛い子供さんに恵まれたHさんの奥さんが羨ましく思い、自分もそうなりたくて結婚した。」とHさんに言いました。

その日以降Hさんには会うことはありませんでしたが、再婚されたHさんは何年か前に肝臓癌で亡くなったと聞きました。
そして先週、離婚された奥様も御実家の四国で亡くなられたという噂を聞きました。
あの時にパーティーに来られていなかったら、彼らの人生は違ったものだったのだろうかと考えずにいられませんが
たまたま、私がタイミングを与えるくじを引いてしまっただけだろうと思うようにしています。

この場を借り、ご冥福をお祈りいたします。

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自分と周囲の関係性や状況など含め、変化するべきタイミングがあります。
周囲から羨ましがられていても、水面下では相当な苦労をしている人が多いものです。
人の心や人の人生などは見えません。それは単なる印象から感じた想像でしかないわけです。
殆どの人は、過去や未来や他人の事ばかり見て右往左往し、今の自分、今という時間を大切に生きていないと言われます。
自分を知り、判断を見誤らないことが幸せになるコツだと思う日々です。

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